COLUMN

コラム

変わる学校建築

COLUMN2016.3.23
代表取締役 所長 萩原 憲一

小中学校を中心とした学校建築は高度経済成長期に建築された量的整備から社会の変遷と共に質的整備へと移行し、今日までに大きな変革を遂げてきました。
質的整備へと移行してきた背景には学校づくりのプロセスの変化が大きな要素として挙げられます。

嬬恋村立西部小学校
Photo by kenichi Hagiwara

多くの教室を必要とした時代から、社会の変革と共に、学校そのものの存在意義や地域との関わり、子供達の生活の場としての整備など、潜在化していた学校の役割が徐々に浮き彫りになってきました。
私たちが当時、学んだ学舎は鉄筋コンクリート造のハーモニカ型校舎と呼ばれるような形式であり、片廊下型の、教室が一律南面する収容所のような画一的な建築でした。
「学校」とは本来、寺子屋の時代から引き継がれるように地域社会との密接な繋がりがあり、住民の心のよりどころであるとと共に地域のシンボル的存在であると言えます。
現在でも小学校の運動会において地域ぐるみで相応の盛り上がりが見てとれるのも学校区を単位とした地域コミュニティーの表れであると感じます。
今日では、設置者や教職員の意見や要望を聞くだけでなく、地域住民や児童生徒、専門家らと共に話し合いやワークショップを重ねる学校づくりが少しずつ定着してきました。
学校をつくることは教育の場をつくると共に、将来の地域社会の礎をつくるための大切な事業で有ると考えます。豊かな人間性を育む教育環境を創りながら身近な公共施設として、生涯学習や地域コミュニティーの創出など、地域社会との交流を積極的に図れるような学校づくりが大切であると思います。
それには教育の変化や新しい試みにも柔軟に対応できる、大きな可能性を秘めた建築計画が必要であると考えます。
学校は教育の場であると共に生活の場であるという考えの基、内部空間においても劇的な変化を遂げています。
1984年、当時の文部省において多目的スペースの補助制度が発足した際に、多くの学校で廊下拡張型の多目的スペースが創られました。

その後、多目的ラウンジや読書・展示コーナー併設型のアルコーブ状の小空間の創出など、多目的スペースの形態は教育の多様化と共に少しずつ変化してきました。

前橋市立第五中学校
Photo by Koji Omaru

生活空間としての学校は児童生徒の居場所を様々なスペースに用意し、廊下は移動のための動線空間から回遊性のあるアーケードのような交流空間となりました。
立体的な吹き抜け空間や視線の交差、アクティビティーを誘発する豊かな創造的空間の創出など、現在の学校は様々な取り組みと共に、潤いのある空間へと様変わりしました。

また、学級崩壊が社会問題として取り上げられる一方で、解決の手法の一つとして教室の間仕切りを排除する空間整備も生まれました。
計画の時点では設置者や教職員の方々は実体験としてイメージし難く、抵抗感が否めませんでしたが、完成後の意見としては効果を実感するコメントが多く寄せられています。逆に児童生徒の側は素直に空間を受け入れる様子が感じられ、想像力の豊かさや、彼らの秘めた可能性に驚かされる場面もありました。

伊勢崎市立赤堀中学校
Photo by kenichi Hagiwara

これらの試みは一定の効果や成果を確実に挙げており、いじめや引きこもり対策にも建築的に寄与することが結果として報告されています。
以来、現在に至るまで、インテリジェント化や複合化、エコスクールや木質化など様々なテーマが挙げられるなか、同時にシックスクール対策や非構造部材の耐震化などを含めた安全面においても配慮が求められています。
また、2001年に起きた大阪池田小学校事件を境に、教育現場は、今までの「開かれた学校」を目指す立ち位置から「守り」の空間整備へとシフトせざるを得ない状況にもなりました。
私たち建築計画に携わる者は、こうした社会的課題や教育の変化・ニーズを敏感に受け止め、設計者として「あるべき建築空間の姿」を導きだし、提案していくことが大切であると考えます。

伊勢崎市立赤堀中学校
Photo by Koji Omaru