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コラム

社会から見た“建築”とは

COLUMN2018.7.2
代表取締役 所長 萩原 憲一

「建築のイメージ」

“建築“と言っても多様な捉え方があり“ケンチク”という言葉のもつイメージは人によって様々です。

産業として“建築”を捉える方、または、造る行為そのものを“建築”と定義するなど様々です。

「建設/Construction」とは道路や橋やダム、建築物などを築造することであり「建築/Architecture」とは「建築物を新築し、増築し、改築し、または移転することをいう」。これは建築基準法にも記されている通りです。このように“建築”とは“建設”のなかの一分野として定義づけられている部分もあり、行政の組織体制においても「土木部建築課」というような位置づけとなっているのが現状です。決して「建築部土木課」という課はありません。

また一方では建築設計事務所と建設会社の職能の差を理解していない一般の方も少なくありません。これは設計施工という日本特有の建築生産の特徴が関係しており、日本建築の歴史的背景にある棟梁と言われる人物の存在が大きく影響したものと思われます。

“建築”とは、建物を建てるに際しての技術や技法、広義には設計する行為も含まれるものと考えます。そして“建築”とは無上に繊細であり「Architecture」は「Art」から分化独立し、工学的要素を融合しながら引き継がれた訳語であると言われています。

 

「実は身近な存在」

“建築”は人が生活するために必要とされた“住居”もしくは“家屋”とよばれる建築物から始まります。生活するための「すまい」は「すまう」という動作や状態を表す言葉を創り、“家”という住むための定着した用語となりました。“家”は人の生活を包み込む器となり、次第に愛着が湧き、安堵感をもつ精神的な心のよりどころにもなりました。

そこから「家」という物理的要素に「庭」という周囲の景観的要素、もしくはスペースを融合させて「家庭」という社会的最小単位やその概念を表す言葉に発展しました。生活感からくる「しつらえ」や「たたづまい」のような日本的で美しい表現も“建築”から生まれたものであり深い結びつきがあると言えます。

 

「建築の功罪」

日本の近代化の過程でいずれの地方都市が共通して陥ったように、無機質で無味乾燥的なごくありふれた建物が機械的に割り付けられ、街区を埋めてしまったという経緯があります。特色ある街並みや景観と融合した美しい風景がしだいに消失し、心の豊かさまでもが希薄になりつつある様相を呈しているように感じられます。

一方で重要伝統的建造物保存地区のように法に基づき街区全体を保護保存する動きも活発にあるのも事実です。また熊本アートポリス事業に代表されるように都市文化、環境デザインに焦点を当て、建築文化の向上を図ると共に文化情報発信地として後世に残る文化的資産を創造する動きもあります。

 

「建築の進化論」

人が生活を営むために必要とされた“住居”から始まった“建築”は、人々が様々な行動をとるようになり「すむ」以外の目的を持つ、「用途」から必要とされる建物が生まれるようになりました。

しだいに集落や街が形成されるようになり、“文化”としての“建築”が生まれるようになりました。

それらは周囲の山並みや海や川、森などの景観と一体化した必然の姿であり、地域により特色のある風景が創出されるようになりました。それが地方文化となり郷土の歴史を創り、建築文化と共に地域性を豊にしていく景観的要素として発展を遂げたのです。

建物は人がつかうモノです。生活しやすいように、また使いやすいように、工夫しながら、居住性と機能性に趣をおいて建築されてきました。そこで生まれた必然の姿が、人間の体位と相まって機能美や構造美といわれる美しい建築デザインとして昇華しました。

“建築”は彫刻ではありません。見た目の華やかさだけを求めるものではありません。また、核シェルターのように耐震性、安全性のみを担保したものも本当の意味での“建築”とはいえないでしょう。

ここで言う“建築”とは人が使うと共に、用途という目的意識を持ち、美しさを兼ね備えたものです。

やがて人は建築物に芸術性を求めるようになり、絵画や音楽の音色のような優雅な意匠を、“建築“に付加するようになりました。

ルネサンス期の欧州は、重厚で有りながら優しい表情と卓越した美意識により優れた建築物が多く生まれました。それは“総合芸術といえる建築”の誕生でした。まさに工学的な技術革新と共に開花した文芸復興であったと言えます。

光と影を自在に操り、人間の視覚的錯覚を利用した奥行きのあるパースペクティブな建築手法もあみだされました。

では現在、私たちが社会生活をおくる現代社会において“建築”はどの様な役割を担い、今後どのような様相を呈し発展していくのでしょうか。

日本ではバブル期に造られた主張的な建築物は影をひそめ、ファサード主義からミニマルな表現を主体とした建築表現にシフトしてきたと言えます。

急速に進む少子高齢化社会を迎え、建築物は地域コミュニティーの場としての役割が強くなってきたと思われます。

創られる、新たな公共施設は複合化となり、学校や保育所なども地域の交流スペースを併設するなど様変わりしました。かつての図書館はアカデミックな要素が強く、飲食は当然のことながら厳禁であり、私語も慎むように教えられてきましたが、現在では地域コミュニティーの核であるかのように、カフェを併設するなど、気軽にかつ自由にスペースを利用できる、くつろぎの空間、出会いの場へと変化してきました。

これからは多様化の時代となります。社会構造が多様化するに伴い“建築”の世界にもまた多様化の時代がやってきます。スクラップ&ビルドの時代は終焉を迎え、用途や目的が替わっても長く建物を使用していく長寿命化の時代となりました。3Dプリンターで建物を造ることもできるでしょう。少なくても建築部材や建材部品を製作することは可能であると考えます。

設計や建設のプロセスも変わります。BIM(ビルディングインフォメーションマテリアル)を活用した設計により、施工や建築後の維持保全まで一貫して管理運用することの出来るシステムとなります。

新たな時代を迎え、私たち設計者の担う役割と責任は多く、多様化する価値観に伴い、求められる職能にも応えていく努力と広い視野が必要であると考えます。